悲しい現実
※今回の投稿は、けっこうナイーブでネガティブな内容を含みます。苦手な方はサクッとスルーしてくださいね!!
ということで、はじまります。
前回の投稿で主治医から約1年間の猶予をもらって、2022年の12月末まで妊活をつづけることを決めたMIYUKI家。
▼▼前回の投稿▼▼
その後ホルモン療法はどうしてる?
本格的な不妊治療などは行わず、アプリで排卵周期を確認しながらのタイミング法で挑戦しつづけました。
1回目の流産
2022年2月のある日。
「んっ?もしかして??」
体にちょっとした変化を感じた私は、近くのドラッグストアに駆け込んで妊娠検査薬を購入。
検査をしてみると…。
うっすらと陽性反応が!!!
でも…薄くない??
何度検査しても薄い。
でも確かに陽性の線は出ている。
ググってみると、今の妊娠検査薬は性能が高いから、まったく妊娠の兆候がなければ線は出ないらしい。
ってことは…妊娠していることは確かなのか!!
妊娠できた!!!!
胸を躍らせ、いつ仏旦那に報告しようか♪
と考えていた矢先…産婦人科へ行く当日に生理が始まってしまって、妊娠を継続できなかったんです。
今回は胎嚢さえも確認できなかった…。
でも確かに私の中に命は宿ってたんだと思う。
短い短い命だったけど、きっと着床してくれてたんだと思う…。
原因は何だったんだろう。
どうにか留まらせることはできなかったのかな。
超初期の流産は卵の生命力や状態によりけりで、母体が問題ではない。ってことは頭では分かっていたけれど、初めて経験する流産で、悲しく残念な気持ちをしばらく引きずることになりました。
2回目の流産
1回目の流産からしばらくして、再び体の異変を感じた私。
今度こそは!?!?
前回のことがあるから、すごく不安で怖かったけれど今回はなんと胎嚢が確認できた!!
小さな小さな命が確かにそこにいる。
6週目には元気いっぱいの心拍も聞くことができて、ホッと一安心したのを覚えています。
可愛い…♡
きっと今回は大丈夫!!
そう思っていたんだけど…。
次の検診で先生のエコーの手が止まるのを見逃さなかった。
私「先生…どうしましたか??」
先生「んー。ちょっと赤ちゃんの発育が遅いなぁ。来週もう一度来てくれる?その時に再度確認してみよう。」
この日は結局心拍を聞かせてもらえず、急激に押し寄せる不安と恐怖に押しつぶされそうでした。
心臓の音だけでも聞きたいって言えばよかった。
無事に生きてくれてることだけを知りたかった!
そして翌週。
先生「残念ながら赤ちゃんの心拍が止まっています。流産手術の日にちを決めましょう。」
どん底に突き落とされました。
診察室で涙があふれて止まらなくて、看護師さんが別室でずっとなぐさめてくれていたのだけ覚えています。
あんなに元気に心臓が動いてたのに。
なんで?どうして??
何が悪かったの???
すぐには現実を受け止められなくて、落ち着くまでずっと別室で泣かせてもらってました。
駐車場には仏旦那と2人の子ども達がお迎えに来てくれていて、3人の顔を見るとまた涙があふれてきてしまって…。
仏ジュニアは赤ちゃんの存在を認識していたので、ちゃんと伝えることに。
私「赤ちゃんね…お空に還っちゃった…。残念だけど、また会えたらいいね…。」
仏ジュニア「そうなんだぁ」
そしてビックリする一言を言ってくれたんです。
仏ジュニア「いちごちゃん(赤ちゃんのことをそう呼んでました)また来てね~。待ってるよ~。」
お腹をさすりながら言ってくれたその言葉に、どれだけ救われたことか。
家に帰ると仏ジュニアがブランケットを持ってゴソゴソしてるから、「何してるの?」と聞くと、
仏ジュニア「あのね。ここにいちごちゃんがネンネしてるから、お布団かけてあげてるの」と。
きっと彼には見えてたのかな。
何もない空間にブランケットをかけ、トントンと寝かしつけてる仏ジュニアを見てそう思いました。
私ひとりでは受け止められないくらいの大きい悲しみを、家族がそっと癒してくれたおかげで本当に助かりました。
これまで順調な妊娠生活しか経験がなかったから、立て続けに流産したことで、これほどまで精神的に苦しいものなのかと痛感しました…。
子どもを授かるって当たり前のことじゃない。
本当に奇跡なんだな。
流産や死産を経験した人って、こんなにも壮絶な日々を過ごしてたんだな。
流産手術当日。
お腹の子に名前をつけて、そっとお別れしてきました。
私たち家族を選んでくれてありがとう。
またいつか戻ってきてね!!待ってるよ。